最初の2年は辞めまくり
最初はサラリーマン感覚で数字ばかり追いかける経営をしていました。
今から考えると、素人社長と素人施設長が運営しているので上手くいくわけがないですね。
スタッフや利用者から不平不満がでて「私辞めます」「私辞めます」と退職が続きました。
採用しても辞める、同じことの繰り返しが2年ほど続きました。
利用者や利用者のご家族からのクレームも多かったですね。
職場の雰囲気も悪く、殺伐としていました。
1年間で40人いたスタッフの半分にあたる20人ほどが1人また1人と退職していきました。
どうしたら良くなるのかを自問する日々
変わったキッカケは同友会の経営指針成文化セミナーでした。
何のためにその事業をしているのか?どうなりたいのか?を考え抜き、理念として言葉にするセミナーです。
先輩の経営者から指摘やヒントを頂きながら自社の理念について考え抜く機会は自分にとって大きな変革でした。
一旦、作った理念も腹落ちするまでには至らず、考えては言葉を紡ぎを何度も繰り返して結局半年ほど掛かりました。
変革を決断した出来事
花見の季節に皆さんを花見にお連れしたんです。
当時働いていたパートさんが仲の良いパートさんに声を掛けていたんです、「どうする?介護の服着て外で高齢者のお世話してるの恥ずかしいな、会社のジャンパー脱ぐ?」
私は後ろでその会話をたまたま耳にしてしまいました。。
介護の仕事を生業としている人が、恥ずかしい!?
この言葉はキツかったです。
その人に恨みつらみの気持ちはありません。
その程度にしか思われていない会社の長である自分が本当に情けなくなりました。
会社に対して誇りを持たせることが出来ない不甲斐なさ。
本当に自分のやってきたことを全部否定されているような気持ちになりました。
心に来ました。
本当にキツかったです。
今でも忘れることができません。
理念の共有
スタッフに理念共有を進めていくうちに1人また1人と退職者が続きました。
退職の理由は理念に共感出来ないからでした。
スタッフは利用者に介護サービスを提供することが自分の仕事と捉えていました。
経営理念は『高齢者の未来にとびっきりの笑顔と感動を添える。』です。
利用者の寿命がくるその直前まで自発的に活き活きと生きてほしい、そのために私達にできることをやろう、というものです。
私達は利用者に役割を与えて働いて貰います。
皆さん喜んでおられます。
役割を楽しんでおられるんです。
人から求められたり、社会の中で自分が必要されている状況が無くなって入ってくる人が大半です。
役割を担い、求められているという状況が気持ちを奮い立たせるんです。
人から求められて社会と繋がっていると実感できる環境を意識的に作っています。
全部やってもらうと利用者は楽ですが介護者に依存してしまいます。
依存の先には自発的な行動が減り、意欲が減退し、元気がなくなっていきます。
信じられないかもしれないですけど、私達の施設に来ると皆さん元気になるんです。
歩けなかった人が歩けるようになり、寝たきりの人の表情が豊かになり、お話するようになるといった具合です。
「介護の仕事」をしにきている人の考え方や価値観からは逸脱しているので「利用者にどうしてこんなことをさせるんですか?」という具合に食い違いを許容できない人は辞めていきます。
けれども、私はこの退職を前向きに捉えています。
何故ならば理念がなかった頃の退職と違って、今は理念に共感してくれる仲間が桁違いに沢山いるからです。
スキル重視の採用から人間性重視の採用へ
理念に共感できない人がいるのは仕方がないことだと考えています。
以前の採用では想いを擦り合わせることをしていなかったため、スキル重視の採用をしていました。
働き始めてからある日、理念が作られ、理念に基づく行動を、と変革したのですから理念に共感できない人にとっては何が起こったんだろう?という戸惑いがあったと思います。
スキルは仕事を続けていれば成長の速度に多少の違いはあれど蓄積していきます。
必ず出来るようになってきますが理念に共感出来ない人が自らの考えを捻じ曲げて理念に共感することは難しいからです。
その先へ
私達の理念に共感して働く人が増えれば増えるほど、自発的に活き活きと生をまっとうできる高齢者が増えると信じています。